コラム

星野真里の“いろどり日記”
「From now on…」

23.12.01いろどり日記

sampleImg
お風呂上がりのまだ水滴の残る身体にボディオイルをゆっくり丁寧に塗り広げてゆく。
まるで自分自身の輪郭を確かめているようだなと思う。
オイルをまとった手のひらの肌滑りはあまりにもなめらかで、腕が、脚が、胸が尊い芸術作品のような気がしてくる。
いや、きっと間違いではない。
この複雑でひとつとして同じもののない身体はこの世の芸術以外の何物でもないのだから。

水と油。相反する存在。
けっして混ざり合わないもの、性分の合わないもの、調和しないもの。

そんな水分と油分が私の肌の上で馴染み、乾燥から私を守るヴェールとなる。

〈大丈夫だよ。あせらないで。どんなことにでも必ず解決の糸口はあるのだから。〉

そこにはそんなメッセージが隠されているような気がした。
photo by mari hoshino
気付けば年の暮れ。
今年を振り返ってみると、本当に自分自身の身体と向き合うようになったなと思う。
年齢とともに感じる自分の身体の変化と著しく成長してゆく娘の身体。
そのアンバランスな関係がもたらした心の変化なのではないかと思っている。

こんなにも感じる愛おしさと、その愛おしさを感じられる私自身の大切さ。
ここにいたい。この幸せを感じ続けていたい。
その思いが、私を私と向き合わせてくれるのだと思う。

さて、来年はどのような年にしようか。
そう考えた私の頭の中に、コトコトと煮込まれるにんじんやじゃがいも、玉ねぎや牛肉の姿が浮かび上がってきた。
これはきっと今日の夕飯に出したビーフシチュー。娘がいつも以上に食べてくれたので嬉しかった、という出来立てほやほやの思い出である。
photo by mari hoshino
「食べることは生きること」という、以前出演させていただいたドラマのテーマを思い出した。
私が演じさせていただいたのは、震災で大切な家族を失い生きる意味をなくしてしまった母親。
何も口にしなくなってしまった彼女だったが、焼き魚の香ばしいにおいをかぎ、かつて家族みんなで食べた思い出がよみがえり、そして一口、その魚を口にする。
それは、ふたたび彼女に生きる力がみなぎる瞬間だった。

あの時、役柄を通して食べて生きるということを体感した私だったが、現実の世界においては食べることを後回しにしてしまいがちだ。
夢中で何かに取り組んでいたら手先が震えてきて、何事かと考えてみたら食事をとっていなかったことに気づく、なんてことが何度もある。
家族のために献立を考え、その残り物が次のタイミングの私のひとりご飯になることも多い。
そんな日常に不便を感じることはないけれど、生きるエネルギーとなる食事に対してもう少し興味を持ってもよいのかもしれない。
不器用ながらも工夫して私のための一皿を。
来年の目標の一つに掲げたいと思う。
ビーフシチューの器の中にも、焼き魚のお皿の上にも、水と油は存在する。
お互いの輪郭を保ちつつ、ときに形を変えて、私たちを生かす美味しい食事となる。

私も私の輪郭に誇りを持ち、柔軟に対応しながら次の命へバトンをつないでゆけたら。
お風呂上がりのお水で乾いたのどを潤わせつつ、そんなことを考えてみた。


溶けあうことのない手のひらをつないだら暮れゆく空に明日を探そう


光を見つけた時が、何かを始めるチャンスなのだと思う。
いまから、ここから。
ともに歩んでゆきましょう。
photo by mari hoshino
星野真里

星野真里

女優・タレント。1981年7月27日生まれ,埼玉県出身。O型。1995年にNHKドラマ『春よ、来い』でデビュー。同年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』に坂本乙女役で出演し、認知度を高めた。

一覧に戻る